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和歌山簡易裁判所 昭和35年(ろ)130号 判決

被告人 中野繁

昭一二・二・一六生 電工

主文

被告人は無罪。

理由

公訴事実によれば被告人は電気工として電気機器の修理電気工事等の業務に従事していたものであるが、昭和三十四年八月十八日和歌山市北新町五丁目五番地岡茂パン工場内の電動機により稼動する製パン用ミキサーの漏電修理を同工場ミキサー係、金丸慶三(当二十六年)より依頼せられ、これが修理に当り電動機付属進相蓄電器とミキサー本体間の進相器の故障による漏電現象の修理をなしたが、かかる際電気工事人としては右故障のみならず同電動ミキサーの全電気回路に渉り他の漏電部分並に漏電可能部分の有無を調査し、若しこれが存在するときは修理をなし以て漏電による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず之を怠り右進相器の故障を修理したに止まり、当時同電動機リード線端子の絶縁被覆が破損し、ブリキ製の同電動機覆に接触可能の状態に近接して存在し、もしミキサーを稼動するに於ては、これが動揺により断続的に接触してミキサー本件に人体を殺傷するに足る強力なる電流を漏洩し得べき状況にあるのを発見するに至らなかつた過失により同月二十日午前十一時半頃右金丸をして右電動機リード線端子よりミキサー本体に漏洩せし電流に感電せしめ、同日午後零時頃これに基き同人を電撃死に至らしめたものである。と謂うにありて、被告人が電気工として電気機器の修理、電気工事等の業務に従事する者であること、昭和三十四年八月十八日和歌山市北新町五丁目五番地岡茂パン工場内の製パン用電動ミキサーの漏電修理を依頼されてこれが修理をなすに当り電動機付属進相器の故障による漏電を修理したこと、当時同電動機リード線端子の絶縁被覆が破損しブリキ製の同電動機覆に接触可能の状態にあつた事実並に同月二十日午前十一時半頃右パン工場ミキサー係金丸慶三が右ミキサー本体に漏洩した電流に感電、同日午後零時頃右感電に基因して死亡した各事実に付ては取調べた各証拠を綜合して之を認めることができる。而して右のような修理を依頼された電気工事人が右進相蓄電器の故障のみならずミキサーの全電気回路に渉り漏電個所の有無を調査しその漏電部分は之を修理し、以て漏電による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を負うべきものであることは言を俟たないところであるが右電動機覆は電動機に電流を通ずるため電源に連接する電線と電動機より出づるリード線とをボールトナツトによつて着脱自在に接続するのでその構造上銅線の露出部分を存し電動機の周辺に於ける作業にも危険の虞れ夥しく従てリード線の配列位置に相当する部分のブリキ板を切除して造られたもので之を以て電動機を覆いその保護と右のような周辺の危険を防遏するよう構成されているものであつて電動機覆は電動機の運転による上下左右の震動によりその切除部分を通過配列されているリード線端子に接触しないように構成せられるべきものであつてリード線は必しも之を絶縁テープを以て巻装する必要はないものと言うことも出来るが昭和三五年押第二〇号二、電動機覆は相当重量物をその上に載せたか又はこの上を踏んで人が通つたか等の原因により右覆を形成するブリキ板は屈折彎曲多くの凹凸を生じ正常なる電動機覆の型を成さず之を電動機に装着して上から加圧すればその下端はリード線に接触するように変形破損しているので特に絶縁テープをリード線に巻装し覆上に重量物を載置してリード線にブリキ端が接触してもシヨート漏電を招かないよう臨機の措置を構じたものと認められるが之も日時の経過と共に加圧の回数を累ねるに及びブリキはリード線のテープに接触摩擦してテープを摩損し右押第二〇号三、モートルリード線六個の内特にW1のような状態を呈するに至つたものと認めることができる。然し乍ら証人花畑鶴次の供述によれば事故の当日カバー(電動機覆)の下端とリード線との間には一センチ乃至一センチ五ミリ位の間隔を保有していた事実を認めることができるので右電動機覆はその変形した後でも尚電動機及ミキサーの運転によつて生ずる震動のみによつては右リード線に接触漏電するようなことはないものと認めるのが相当であり又この事実は被告人が昭和三十四年八月十八日右ミキサーの修理を完了して電動機に通電運転し両手をミキサー本体とコンクリート床の水溜に触つて漏電の有無をテストしミキサー本体に漏電のないことを確認している事実並に被告人が右ミキサーを修理した十八日の修理完了後から翌十九日及びその翌二十日午前十一時過頃までの間電動機及ミキサーの運転を為したに拘らず何等漏電事故の生じなかつた事実に徴するも之を推認することができる。而して又他に被告人が右ミキサーの修理を了した当時電動機の運転によつて電動機覆とリード線とが接触漏電していた事実を認めるような証拠はない。

尚この点に於ける鑑定人打越一雄作成の鑑定書の記載並に証人打越一雄の供述は何れも事故の発生後同人が漏電個所を調査した際の事実を述べて居り被告人がミキサーを修理した直後の状況を述べているのではない。唯リード線W1の電触痕は古いので被告人がミキサーを修理した当時もミキサーの運転により断続的に接触漏電の可能性があると推察しているものであつて之を以て修理完了当時ミキサーの運転による震動によつて接触漏電したと解することはできない。従て通常の通電運転でなく電動機覆の格段なる下圧によつて生ずる右リード線と電動機覆との接触漏電による事故の発生を被告人に対しその予見を求めることは被告人の業務上注意義務を拡大しその責任範囲を逸脱するものであつて被告人に過失責任を認めることはできない。

仮に被告人が右電動機覆に重量物を載せ或いは人が之を踏んで生ずる格段なる加圧或は単なる通電運転によつて生ずる機体の震動によりて右覆とリード線が接触漏電することを予見し得たとしても被告人が電工として採ることの出来る漏電防止策は右リード線に絶縁テープを巻装する位のことであるが此の種の防止策は電動機の運転による震動によりて電動機覆がリード線に接触する以上右防止策として巻装した絶縁テープも何れは摩損してシヨート漏電するに至るべく斯くて電気工事人はその業務上の注意義務を完遂することは到底不可能となるに至る。右リード線は電動機の構造上之が改廃は許されず、右絶縁テープの巻装は一時的の漏電防止策にすぎず真の漏電防止策は右ブリキ製の変形破損せる電動機覆を補強修理するにあれども之は電気回路の問題ではなくその施工は鈑金工の作業範囲に属し電気工事人である被告人の業務範囲に属しないので、被告人の業務上注意義務の範疇に在らず。

従つて被告人が電動機リード線端子の絶縁被覆が破損しブリキ製の電動機覆に接触可能の状態にて近接して存在し、若しミキサーを稼動するに於てはこれが動揺により断続的に接触してミキサー本体に強力なる電流を漏洩し得べき状況にあることを発見するに至らなかつたとなし之を以て被告人に対し業務上の注意義務を怠つた刑事上の過失責任ありと指称することはできないものと解するを相当とする。

仍て刑事訴訟法第三百三十六条に則り主文の如く判決する。

(裁判官 宇都宮網久)

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